|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 岩 : [いわ] 【名詞】 1. rock 2. crag ・ 城 : [しろ] 【名詞】 1. castle ・ 重 : [おも] 1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important ・ 江 : [こう, え, ごう] 【名詞】 1. inlet 2. bay ・ 江戸 : [えど] 【名詞】 1. old name of Tokyo ・ 江戸時代 : [えどじだい] (n) Edo period (1603-1868 CE) ・ 戸 : [と] 【名詞】 1. door (Japanese-style) ・ 時 : [とき] 1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment ・ 時代 : [じだい] 1. (n-t) period 2. epoch 3. era ・ 代 : [よ, しろ] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation
岩城 重隆(いわき しげたか、1628年2月19日(寛永5年1月15日) - 1708年1月3日(宝永4年12月11日))は、出羽亀田藩第3代藩主。2代藩主岩城宣隆の長男。母は真田信繁(幸村)の娘・顕性院(お田の方、豊臣秀次の外孫)。通称は庄次郎、左京。官位は従五位下伊予守。 正室は佐竹義直(東家)の娘。継室は本多重能の娘。子は岩城景隆(長男)、娘(石川乗政正室)、娘(竹谷松平清当正室のち柳生俊方継室)ら3男4女がある。 寛永11年(1634年)3月28日将軍徳川家光に御目見する。明暦2年(1656年)7月25日、父・宣隆の隠居により家督を相続する。同年12月26日、従五位下伊予守に叙任する。 天和元年(1681年)、素行の悪さを理由に嫡男・景隆を勘当して隠居所に幽閉した。元禄9年(1696年)、家臣からの声もあって景隆を赦免することにしたが、景隆はその直前に病没した。悲しみにくれた重隆は、専住山正念寺に供養のため念仏堂を建立したという。また、晩年には孫・秀隆も廃嫡し、秋田藩士・佐竹義明の息子・格道(又八郎)を養子に迎えようとしたようである。 宝永元年(1704年)2月18日に隠居し、廃嫡した長男・景隆の長男・秀隆に家督を譲った。宝永4年(1707年)12月11日死去、80歳。新田開発や城下町の整備などを行なった名君として知られる。「月峰公」とも呼ばれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩城重隆 (江戸時代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|